三十年式銃剣に関する改正資料まとめ 装備:武器 2016年12月24日 公開資料の内、銃剣に関するものを年代順に羅列することにしました。毎回参照する手間が省けると思います。なお文章は現代風に書き換えています。意味合いが異なる場合も有りえるので、真剣に調べる場合は原典を当たられた方が無難です。雑ですが最後に出典を附けています。 括弧内の文章は自分が書いた注釈になります。資料本文に記載された事柄ではないので留意ください。 法令に関する知識がないので、施行・実施日が判りませんでした。そのため今回は結了の日時を記載します。 明治32年 2月 附(結了日は不明) ○剣身の附刃 ・附刃する場合は、全長の2/3に施す。 ・附刃部の幅は2-3mmとする。 明治39年 7月 注:解釈が難しいので原文を乗せました。 ・将来製作すべき三十年式歩兵銃銃剣には全て三十年式歩兵銃の属品として彫刻せし一貫番号を追ひ従前と同じく柄頭部に彫刻すべし ・既製三十年式歩兵銃銃剣、剣柄の側面に彫刻したる番号は特に側面番号と呼称し柄頭部に彫刻したる一貫番号と区別す (つまり、今まではグリップの上部に打刻していた銃剣固有のシリアルナンバーを柄頭部分に移動させたということでしょうか。このことによって既存銃剣の番号と意味合いが異なってしまった。だから「区別の必要が有る」と追記したのでしょうか。実際にグリップの上部にシリアルナンバーがある銃剣は現存しているので、恐らくは正しいと思います。 明治40年 2月 結了 ○名称 ・三十年式歩兵銃銃剣から三十年式銃剣に名称を変更する。旧来は歩兵銃の付属品扱いであったが、これ以降は銃剣自体を第一種の制式品とする。 大正6年2月 結了 ○剣差 ・表革の厚さを増やす。 理由:帯革通し部周辺の破損が多いため ・接合部端をリベットで留める ・中央の穴周辺の縫製をやめる 理由:縫い目辺りで裂ける事が多いため ・帯革を通す輪の部分の幅を増やす 大正8年 2月 結了 ○剣身 ・柄部(鯉口側)血溝の長さを減らす 理由:製造上の都合 ○鍔 ・龍尾部の形状を変更する 理由:同上 ○鞘の鐺 ・鞘本体にはめ込む部分の形状を変更する 理由:同上 昭和3年 5月 結了 ○下部弾鎖子 (鞘のバネ下部、鞘の本体に埋め込まれてる方) ・バネ寸法を7.5から8.5に変更 理由:折損を防止するため ○鞘本体 ・側面の接合を真鍮ロウ付けのみに限定せず、ガス溶接も可能にする。理由:制作上の便宜を図るため ○鞘の鐺 ・同上、ガス溶接も許容する。 昭和13年 3月 結了 ○上部弾鎖子(鞘のバネ上部、鯉口と一体化してる方) ・全長を73mm拡大し、剣身を挟み込むバネ部は差込口すぐの場所と端部に二箇所設ける。 ○下部弾鎖子(鞘のバネ下部) ・廃止する。(つまり、部品が2つに分かれていたバネ部を1個に統合したということ。) ○鞘本体 ・素材を軟鋼から鋼板1.2種 又は3.4種にする。 ・本体の厚さを0.7mmから0.6-0.9mmの範囲に変更する ・製造方法に引抜を追加する(引抜工法の参考:http://www.fujialumi.co.jp/image/Extrusion_Drawing.pdf) ・パーカーライジングの仕上げ処理も可能とする。それまでは黒色に錆染(ブルーイング)のみであった。 (明記されていないので確証はないが、溶接方法に“ガス”の文字が抜けている為、それ以外の溶接法も許容する事にした可能性もあります。) ○鐺 ・黒染めだけではなく、パーカーライジング処理も可能とする。 ○銃剣本体(長いので割愛、要するに表面処理が必要なすべての部品) ・パーカーライジング処理も可能とする。 (剣身は柄部のみ適用されています。つまり剣身の鞘に収まっている部分は除外されるということです。そのため、この改正後も剣身には表面処理が施されておらず白磨き剣身のままです。尚このことについては自分自身読み違えしていましたが、古鷹屋様にご指摘いただき気づくことが出来ました。この場を借りてお礼申し上げます。) 昭和13年7月 附(結了日は不明) ○剣身 ・従来は平時用の銃剣の剣身は減刃していたが、以降は附刃することにする。 *既製品については別途指示する。 (出動時に短時間で附刃をするのは非常に困難である、という主旨の報告が昭和7年、満州事変の際に行われています。支那事変の動員拡大を鑑みた改正だと思われます。) └昭和13年10月 ・既製品の附刃に関しては、とりあえず現制式の附刃器(詳細は不明)を使用しても良いことにする。 (つまり、改正後の附刃の経始は旧来と異なっているということでしょうか。 実物を見ると、割と新しい個体の刃部幅は1.5mmほどしかありません。それ以前の刃幅は2-3mmです。この時点で変更されたという証拠はありませんが、何かしらの影響はあると思います。) 昭和15年3月 結了 ○剣身 ・全部にアルカリ性黒色錆染をする 理由:防錆のため、また視認性を低下させるため。(反射によるギラツキ防止?) ○柄木 ・代用品を制式とするため (詳細不明) ○剣差のバックル、リベット部 ・代用品を制式とするため (実物を鑑みるに、鉄製の黒色塗装又はメッキ仕上げ製品を制式に追加したのだと推察されます。ただし完全に置き換えられたわけではなです。これ以後の製造品においても真鍮製製品は見られます。) 昭和15年 10月 結了 ○鍔 ・フックの曲線を廃止して、直線に変更する 理由:生産性向上のため 最後に 記載は省きましたが、明治32年に士官学校が銃剣留金部の改正を提言しています。バネの脱落が多かったとのことです。提言を製品に反映させたかどうかは不明です。それと明治40年に附刃の有無で戦時用と平時用を区別するといった主旨の資料も有ったのですが、草書体で書かれていて十分に読めなかったので省いています。 また今回はわかりきっている改正資料のみ乗せましたが、次の記事にて自分の考察を含めた改正の変遷を書いていきたいと思います。以下は予定している項目です。 ・銃剣の分類について提案 └初期・中期・後期を柄頭の形状で区別する ・銃剣の附刃・減刃 └附刃の幅について └附刃の長さについて ・写真で見る、三十年式銃剣 └本体 └鞘の形状、ろう付 ・いわゆる中期型について本体・鞘の改正時期 └中期型鞘について、バネ部やその他部品の形状から推察する改正時期 ・剣身の仕上げ処理について └全体にパーカー処理が施された剣身について └15年以後製造の白磨き製品から見る例外品 ・剣差の一体型について └別用途説と後期型説の比較 ・彫溝について └血抜き用か重量軽減用なのか、溝の効果について └製造時期や工場の違いによる形状の違い ・鞘の弾鎖子の形状の変遷 └初期型鞘の違い └中期型の弾鎖子形状 ・マークについて └中期型銃剣に見られる、小倉工廠マークに阪の刻印が示す意味 └造兵廠のマークがない銃剣、松下金属単体の個体 └昭和17年度の資料には大阪造兵廠に銃剣の生産が割り当てられていない理由 └昭和20年度の資料には大阪造兵廠の下に松下金属が置かれている理由 └上二項目を総括して考察する、造兵廠・民間工場のマークが持つ意味 ・銃剣の鉄鋼の種類について └剣身の焼入れについて、資料と現存する実物から推察 └鞘の素材の差によって生じる見た目の違い ・柄木の材質について └クルミ材以外の木材、改正時期 例のごとくいつ書くかわからないので、画像だけ載せておきます 参考 参考 30年式銃剣剣差制式中改正の件;30年式銃剣.38式歩兵(騎)銃44式騎銃制式中改正の件;30年式銃剣剣差制式中改正の件;30年式銃剣.38式歩兵(騎)銃44式騎銃制式中改正の件;3年式銃剣外の点制式中改正の件;30年式銃剣中改正の件;32年式軍刀並30年式銃剣中修正図引換の件;32年式軍刀及30年式銃剣附刃に関する件; 30年式銃剣中改正の件; 三十年式銃剣、三十二年式軍刀甲、乙並に九五式軍刀中改正の件;30年式銃剣中改正の件
実物 三八式歩兵銃 九九式短小銃 トリガーガード 用心鉄 装備:武器 2014年11月09日 言い回しに怒る方も居るかと思いますが、今現在悲惨な気持ち、有り体に言えば初年兵になった気分です。 色々と言いたいことが沢山ありますがヤフオクの売れば勝ちの状態はどうにかしてほしいです。 なんというか、自分が損するということ以上に、人間の厭な面を見てしまう気がしてなりません あと大陸系の転売業者様・・・ 触れること自体明らかに角が立つ内容ではありますが、どうも気分的に触れておきたくて仕方が有りません。 それに今回ネタにする部品は、そう言った厭なことから入手したものなのですから一応関連性があると自己納得しておきます。 閑話休題 (この記事は九九式の部品呼称を基本に書いています。) 上三八式(中期-後期型?)下九九式(前期型で、初期型ではない) 先ず製造年代について触れておきますと 三八式部品の方は刻印「セ」から1930年台以降の製造だと推定されます。 (多分です。断言しません) 上で中期-後期としたのは年代による型式の区分が不明で確証がないからですので、 生産開始1906年から生産終了の1942年(wiki引用 資料不明)までを単純に三分割するのであれば後期型という扱いで良いのかもしれません。 また、仮に中期型と後期型を分類するのであれば、弾倉の磨き仕上げと溶接の有無がポイントになると推測はしますが(溶接についての考察はこの記事)他に比較対象がないのでなんとも言えない状態です。 また九九式の方は年代は分からないにせよ名古屋工廠製の前期型であるとは推測が付きます。 初期型は下面、上面ともに鋳物肌を全て磨き上げてあり、下支鉄部分にも検印が存在します。検印の数も異なります。 (価値を知らないまま売却してしまったのですが以前の記事に初期型を載せてあります。) 前半部分です。 形状的には似通っていますが、側面磨き上げの細かさ等が異なっているのがわかると思います。 それだけではなく開放ラッチの違い等、後に触れますが意外と相違点は多いです。 下支鉄(びろーんと伸びている部分 英語でロワータンともいう)等大きく異なります。 三八式の用心金は見ての通り完全に削り出しの用心鉄部分で、下支鉄も本体で挟み込む形状になっていたりと細かい部分が良く出来ています。 九九式に比べて時間がかかったことでしょう。 弾倉底板留も九九式と異なりプッシュして開放する形式です。 (正確には三八式の場合、実は2パーツに分かれていて、押す部分の部品は弾倉留柄と呼称します。部品名が同じ役割の者でも三八式と九九式で異なるのでややこしいです。) 当方特に技術者というわけではないので機構に対する理解が甘い点はありますが、 三八式歩兵銃では弾倉底板(正確には鈑・・・ うぜえ) を後ろから前(底板留から作用される部品の方向)に押さえつける作用が働いている為、2パーツの部品に分かれていると思います。 対して九九式の場合は、下に弾倉底板が落ち無いように支えているだけの構造です。 これらの違いは弾薬を入れていない時、つまり弾倉撥条の負荷がなく下面に押さえつける力が働いていない時に問題になってくるようで、精度の悪い九九式部品(この前期型部品もそう)の場合、振るとガタガタと音が鳴ってしまっています。 そう言った所の配慮で三八式のパーツが複雑になっているものと推測しております。 (以前の記事にて「三八式の時代はコイルバネを極力使いたくなかった」という内容の文の中にこの用心鉄に関して触れていました。 板バネを使用しているのでは無いかと推測していましたが、実際の所三八式の用心鉄にはコイルバネが使われていました。お詫びします 仕切り直して九九式についてですが、 こちらは用心鉄本体と下支鉄が一体のように見えますが分割して製造されています。 下面のびろーんがクルッと半円を描いて本体と合流していますが、ともかくそういうことです。 接合は熱い内にプレスしたものかとおもいます。 またビローンやクルッはプレスによる成形っぽいですが、一応手作業で磨いているようです。 (時期が下るに連れて仕上げが荒くなるのを自明のように考えては居るのですが本当にそれは正しいのか?削り方によってある程度の生産時期を見分けているつもりですが、それは勝手な推論なのかもしれません。 考えを決めない内に記事を書くなと言われそうですが・・・ ) 構造の違い 三八式は底板のツメを本体に差し込む構造です。 九九式の場合はヒンジが付いていて稼働するようになっています。 上面 ここの部分の違いが個人的には一番びっくりしました。 三八式のほうが明らかに綺麗に作られています。 底板です。 三八式はリューターで弾薬撥条の取り付け部をほり込んでいるようで、ツールマークが残っています。 九九式の場合は本体から伸びた板を折り返して取り付け部としてあります。 1パーツのみで底板、ヒンジ、取り付け部を全て兼ね備えていますので とても合理的な設計をしていると思います。 ←九九式 →三八式 九九式は溶接かと思います。 自信は持てませんが・・・ 三八式はピン止めで、この部分も磨き方が異なります。 最初の方に「嫌なことから入手できた」と書きましたが 真っ暗な画像で出品されていて、届いたものはアクリル塗料でドロドロに塗り固められていたものでした。 誤魔化す気で出品したんでしょうけど、剥がしてみたらこのような程度のものだったので嬉しい限りです。 最初は騙されたと思いましたんで・・・
実物 三八式歩兵銃 初期/九九式短小銃 初期&後期型 安全子 セーフティー 装備:武器 2014年11月09日 前置きとして 九九式は時代ごとに 極初期 初期 前期 中期 後期 末期 の区別をしています ちなみに安全子の場合の初期は前期とは ・黒染め仕上げが淡いブルーであること ・チェッカリング中央の凹みに検印があること 以上がことなりますので今回の部品は初期型としています。 前期型(~1943)は黒色の仕上げで尚且つ中途検印は表面にありません。 尚三八式歩兵銃の場合は正直いってよくわからないのですが、白磨きのタイプのほうが登場が早いとして初期としています。 もしかすれば前期かもしれません。 また、三八式歩兵銃のセーフティーの呼称は正確には 打針留と言います。 便宜上九九式に合わせた呼称を用いています。 記事にするネタをタイトルに全部詰め込んだところやたら長くなってしまいましたが とりあえず安全子についての記事です。 後期型は棒が歪んでいるので自立しません。 手元にあったiPhoneで支えています。 この安全子一つとっても三八式から九九式にかけてで 知る限り8通りあり、また三八式の場合は一部白磨きであるタイプ、九九式でも黒染めの色合いの違いや内部の刻印の打刻位置の違い等もあるのでかなりのバリエーションがあります。 他の部品よりもバリエーションが多いのは手間のかかり具合によるものでしょうか。 よく分かりませんが興味はあります。 並べるとこうなります。 位置がずれていて分かりづらいですが三八式と九九式では棒の長さ、溝の幅や位置、前面の曲線具合といったところが異なります。 ここの細かい違いは当然円筒の形状の違いによるものだとは思いますが 弾を7.7mm化することによる変更でしょうか。 それとも合理化によるものなのでしょうか。 円筒と比較した上で考えてみたいところでは有るのですが、円筒(ボルト)は法律的にアレなので入手するに能わず悩みは増すばかりです。 チェッカリングの違いです。 これは九九式だけにしても製造所により異なりますので、三八式と九九式を分ける上ではあまり参考には出来ないと思います。 ただ、中央の凹みが三八式では若干深いという事は作りの丁寧さを示すと思います ←三八式 →九九式初期 内部まで削り込まれている三八式は流石に芸術性も認められているだけあります。 九九式の方は初期型ですし、ある程度の処理はありますが三八式には及びません。 順に 三八式、九九式初期、九九式後期 三八式の曲線美もさりとて、後期のガタついたところにもそそられる物があります。 はめ方が歪んでいて構成がずれています。また安全子として作動する部分もチャンとした角が出ずに曲線になってしまっています。 操作性が悪くなったと推測されますが(円筒が無いから操作感を確かめようがない)やはり生産性優先によるものでしょうか。 三八式セーフティーの上部と下部のアップです。 ピンが打ち込まれているというのがわかると思います。 つまりチェッカリング部と棒部分の接合は溶接ではなくピン止めということです。 使い回しですが三八式の裏面です。 部品間の溝が何の跡なのかは不明です。 ピン止めだけであればこのような溝は出来ないはずですがよくわかりません こちら九九式の後期型です。 末期型の溶接痕がそのまま残っているタイプのものが一番説明に適しているのかとは思いますが すみません とりあえずこの部品に於いては九九式は溶接だということでお願いします。 ところで日本の溶接の歴史といいますか、軍隊に関わった溶接の話としては 有名どころで言えば海軍の第四艦隊事件、震電のスポット溶接といったところでしょうか それぐらいしか知らず不勉強が顕になりますが・・・ 九九式短小銃の初期型から溶接が使われているのはほぼ間違いない話ですが 溶接の採用時点が ・三八式歩兵銃の時点で溶接が実用化されていた ・九九式小銃になってから初めて溶接が使用された ・九九式短小銃の正式後 いずれなのかは現物を確かめたわけではないので断言は出来ません 確証なし ただ、こちらのサイトを見る限りでは 溶接自体は日本海軍でも1930年台に実用化されているらしく、陸軍に於いても実用は大体同じ年代頃にはどうにかなっていたのではないでしょうか ですから採用時点としては、三八式の後期型であっても不思議はありません。 とは言え正直な話、九九式短小銃に溶接が使われているということ自体も日本語圏のネット上では殆ど話題になっていませんので情報が不足がちです。 その上、かの大御所も溶接は出来ないと言及されていることですし、ヤフオクの出品者の方にも九九式の槊杖(クリーニングロッド)はロウ付けであると主張される方も居られるわけです。 角が立つのであまり大仰には言いたく有りませんが、九九式短小銃の部品に溶接されている箇所があるというのはある程度正しいことのように私自身は思います。 接合方法はちょっとお手上げです。 技術屋ではないのでわかりません
実物 九九式短小銃 対空照尺 装備:武器 2014年06月27日 前回の記事では単純な比較だったのですが、今回は対空照尺自体について紹介していきたいと思います。 まさに三度目の正直でした。 九九式短小銃で単脚の次に目立つ部品ですから、納得の行くまで落札し続けた甲斐があったというものです。最高の状態の物に出会えました。 右写真が全体像です。 若干黒染めが剥がれていますが、これは私が遊標を動かしている内に傷つけてしまったからです。 ここまで状態が良いものだとリフィニッシュを疑ってしまいそうですが、オリジナルで間違いないようです。 水平方向に棒が伸びていますが、これがかの有名な対空照尺 アンチエアー サイトです 対空照尺部分には2,3と数字が打ってあります これは敵機の速度(×100km/h)を示すものだとネットでチラッと見ました。 仮にそうだとして、敵機の角度によって見越し角度は異なる筈なので本当に有用だったのか・・・ やはり無いよりはマシというレベルなのかもしれません。 (余談:グラマンに襲われた事があるという人から話を伺うことが出来ましたが、走って機銃掃射から逃げられるだけの速度ではあったようです。 航空機の場合一点集中で弾を発射するので、敵機の進行方向から垂直に走れば射線から逃れることも不可能ではなかったのでしょう。 またその方の実家は、グラマンの曳光弾によって全焼してしまったせいで洞窟での生活を余儀なくされたとのことです。) 表尺部分です。ここの数字は目標との距離(×100m) を示します。 目標が300m以内の場合は表尺を畳んで射撃します。 尚、表尺を立てた場合と寝かせた場合とでも照門の穴の大きさは同じになります。 寝かせた時はリングを大きくして、より素早く狙えるようにしたほうが良かったのではと思うのですが、この部分がなぜ同じ大きさなのかは不明です。 遊標部下面です。 対空照尺を抑える板バネはアリミゾにて固定されているのですが、この個体はバネの固定が緩く何やら紛失しそうで怖いです。 実物でも既に無くなっているものが多いのも納得できます。 これを地面に落としたら見つけ出す自信なんて有りません 今現在所有されている方も注意するに越したことは無いと思われます。
実物 九九式短小銃 高射表尺/対空照尺 装備:武器 2014年06月27日 ヤフオクで照尺を集めることはや一年半・・・ ついにここまでたどり着きました(?) ここまで来た! というよりもヤフオクの写真では状態が分かりづらく、納得がいく状態の物にたどり着くまで無駄に時間を掛けたような感じです。 そもそも対空照尺自体の出品がかなり少ないので当たり前でしょうか。 それで余分なものをヤフオクで処分しようとしているのですが、買った価格15000円とかなのに 12000円で出品しても全く売れません。 まあ気長に処分していこうと思います。 まあそれとは別に一つ試してみることが・・・ ッ ファンファンウィーヒッタステーッステー... ファンファンウィーヒッタステーッステー 個々に摺合せの工程があったことは間違い有りませんが、それでも加工精度はちゃんとあったようです。 検印の比較です 真ん中の表尺のみ中途検印が3つで、左右の物は検印は4つあります。 これは生産時期の違いで、戦争が進むにつれ工程が省略された結果です。 こちらも中途検印の数が異なります。 検印の字体が異なるのも面白いところですが、太い感じの「リ」は中期に近いものに多く見られます。 最後に表尺部分です。 カーブの部分を見てください。 手作業という感じが凄くします。 だからどうしたということもないのですが、 こういった部分も戦前戦時中の工業製品を理解する上で役立つのかもしれません。