忍者ブログ

さんま備忘録

you大

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


軍縮期の改四五式軍衣袴外套と、それ以前の四五式との関係について(その2、生地質について)



「大正の軍装」という新刊が近く発売されるということで、にわかに四五式時代の軍服への興味が戻ってきました。半年前から書こうとして放置し続けていた四五式の記事もこの際書き進めたいと思います。

メリノウールと支那羊毛、雑種羊毛などの素材について(衣袴・外套絨のみ)

 ひとえに四五式、改四五式と言ってもそのうちに何種類か生地質が異なった製品が存在しています。明治45年に制定された四五式の軍服類ですが、最初は四二式と同じような霜降りの入っていない単色系で毛が抜けやすく、あまり上質とはいえない生地だったのが、大正2年?(資料が残ってないので曖昧です。)あたりから御存知の通りの非常に質が良い生地に変わっていきました。
資料が無いため改正理由もまた不明ですが、単純に品質の悪さから来る保存上の不利が問題とされたのではないかと思います。



 ・大正2年(?)改正型
  
(↑メリノウール100%の生地 左は袴、右は外套絨)

これらの質の良い生地は(その1)で説明したとおり軍縮とは無関係なものです。その後大正8年に生地質が低下しますが、これも軍縮とは直接の関係はありません。


以下大正8年4月に通達された”軍用絨羊毛配合量の件”より抜粋です

原料は総て豪州産メリノー羊毛を使用しあるも資源の関係を顧慮し外観及び保存力に第なる変異を生ぜざる限度に於て資源潤沢なる支那羊毛を混入しもって自給自足の目的に資し併せて価格の緩和を図り(略)

原料は総て豪州産メリノー羊毛を使用しあるもその「メリノー」羊毛はその資源地、豪州、南アフリカ、南米なるをもって有事の際における補給関係を顧慮する時は支那産羊毛をもってこれに代わるを緊要と認む。然れども支那羊毛はその毛偵粗剛にして(略)


大正12年2月 ”軍絨製造原料に関する上申” より抜粋

 軍絨の製造原料中支那羊毛を混用することに規定せられたる当時は欧州戦乱中にして各種羊毛は破格の騰貴をなし雑種羊毛の如きはその騰貴殊に甚だしきに拘らず支那羊毛は他の羊毛に比し騰貴率低かりしに依りその混用を有利と認めたるも(略)

以上のように第一次世界大戦による相場高騰を直接的要因として品質低下が起こったことがわかります。


・大正8年改正型

(↑ 左:支那羊毛50%混入の衣袴絨、右:支那羊毛70%混入の脚絆絨)

 大正8年に改正されたこの生地は経糸にメリノウール、緯糸に支那羊毛を用いており、衣袴絨、外套絨の場合比率は50:50です。見ての通り表面に太い毛が付いてザラついているのが分かります。
脚絆絨は糸の時点で混紡してあるので経緯の区別はありません。あいにく使用感が有ってわかりづらいですが、衣袴絨よりももっとザラザラしていると思って下さい。

さてこの支那羊毛が混入された生地ですが、実はいつ頃まで製造が続いていたのかがわかりません。というのも似たような生地は昭五式時代の中頃まで見受けられるのですが、本当にそれが同一の生地なのかどうかが自分にはわからないのです。

生地の改正に関して製絨所から以下のような上申書があげられています。




大正10年8月 製絨の為羊毛配合量に変更の件 

 現制衣袴外套絨はその原料として「メリノー」羊毛および支那羊毛を登坂に使用する規定にあり之候処目下財界不況の関係上民間に停滞セル洗浄メリノー羊毛(中略)を混用する(中略)千住製絨所に於いて制作せしむる衣袴外套絨に対し試験的に両種羊毛に対し各2割混用致したく候認可相成りたく及び申請候なり


大正12年3月 軍用絨製造原料に関する上申

絨の製造原料はメリノー及び支那羊毛に限定せられあるも別紙理由書(軍用絨類の名称等改正の件:『近来返って支那羊毛割高となりこれに比し品質良好なる雑種羊毛の方割安なり(略)』)の通り雑種羊毛を支那羊毛に代用するときその品質を向上制止むるのみならず経済上有利(略)

 

大正13年2月 軍用絨混綿案 

経費節減の目的をもって軍用絨に若干の綿花を混入す(略)


 以上のように何件か改正案が出されています。
話はそれますが、改正案はその後採用されたようで、昭和11年における混紡比は衣袴絨で雑種羊毛76%、メリノウール19%、反毛5%となっています。また昭和13年以後の九八式時代の衣袴絨は恐らくですが綿を混紡しているようです。


左:大正15年改四五式、右:昭和11年昭五式
この昭五式の個体に限って言えば殆ど大正15年生地と同一の組成のように思われます。

話を改四五式に戻しますと、問題は要するに雑種羊毛が混入されはじめた確かな時期が不明な以上、改四五式の時期にも雑種羊毛が混入されていた可能性が否定できないという点にあります。これは自分の知識不足に因るところが大きいです。そもそも雑種羊毛とメリノウールの見分け方がわかりません。なので言えることは、似たような風合いの生地は昭五式まで続いていたということだけです。上申書には適宜配合比を変更すると書いてありますし年度によってバラバラの可能性もあります。なので比率などはまったくもって不明です。

尚話はそれますが、生地の改正時期と軍服そのものの製造時期とは重ならない点には注意が必要です。製絨所での製造が終わった後も在庫は残っていたようで、大正10年代製造の改四五式であってもメリノウール100%生地であるといった例は多々見かけられます。
他にも昭和17年に昭五式時代の生地を使用した九八式軍衣などもあります。


即ち結論としては四五式、改四五式には三種類の段階があったと言えます。
1.42式より続く質の悪い生地

2.高品質な生地(大正2年ごろ?より)
3.支那羊毛を混入した生地(大正8年より)

それ以後の変遷は先程書いたように自分の勉強不足によって確かなことは分からずじまいでした。今後調べていきたいところです。


最後に追記

これは個人的な感想に留まりますが、雑種羊毛を混入するべきという内容の上申書 ”軍絨製造原料に関する上申” はどうにも内容が具体的かつ即断を要するような感覚を受けます。雑種羊毛の値段が安いという事を過度に誇張して書かれた可能性も否定できませんが、字面だけを見れば上申を無視する理由も特に見当たらないように思えます。だからこそ現存実物を頼りに雑種羊毛の混入がされていたかどうかを考えていくべきなのですが、中々判別が難しいです。
 
 毛の太さは メリノウール<雑種羊毛<支那羊毛 の順に太くなっていきます。支那羊毛は表面にチリチリした太い毛が混ざるので判別は用意です。しかしメリノウールと雑種羊毛の差は正直自分には余りよくわからないのです。加えて使用感の有る軍服だと表面の太い毛が削げて支那羊毛の見分けがつかない場合もあります。こればかりは自分の経験不足としか言いようがないです。

(日本軍 軍服) 改四五式軍衣、昭五式軍衣、九八式軍衣について比較


陸軍の軍服の正式は
(四二式)→四五式→改四五式→昭五式→九八式→三式
と変わっていったらしいですが手元にあるのは改四五式-三式の間だけです
(四二式以前はよくわかりません)

*四二式軍衣
特徴:四五式と比べると検印が縫い付けだったりズボンの形が違う(らしい


・改四五式軍衣


四五式軍衣との違いは、裁断(各部のサイズ)の変更のみ

制定後数年で袖章の取り外しの通達がありましたので、袖の赤線は残っていません



昭五式軍衣



九八式軍衣


改四五式、昭五式、九八式についての大まかな違いですが、まず一番に言われるのが

四五式軍衣→サイズ変更→改四五式軍衣

改四五式軍衣→背中の生地を二分割→昭五式

昭五式→折襟化→九八式

です
手元にあるのでわかる分だけ比較してみたいと思います。


○生地質

軍服の生地は陸軍の製絨所にて製造されたものを使用しています。
生地質自体が何式と制式されていたわけではないので例えば、戦争末期の三式軍衣でも
昭五式の生地を使用している場合があります。
(製絨所が昭五式時代の生地を製造していたわけではなく、昭五式の生地が余っていた為)


基本的に時代を下るだけ生地がスカスカになっていきます
ウール繊維の量が減らされているからです。

また繊維の素材も劣化していっています
最初はメリノウール100%という高級さだったのが支那羊毛入りとなり、
戦争末期にはスフ入りでホコリが溜まったようにしか見えない混紡生地になってしまいます

○裏地
四五式軍衣は全て内張りがありますが、昭五式以降は一部途切れています。
生地の節約と言われていますが、着用した時の感じからすると
恐らく内張りの追従性を良くするためと思います。
四五式軍衣の内張りは縫い止めれているうえ布が厚いので背中に引っかかるような感覚があります
なので後述の理由と合わせ、着心地が他の軍衣に比べてかなり劣ります

内張りの生地質自体も四五式は厚めの滑らかな生地、昭五式以降はザラザラした感じの生地です
確か正式な名前も違っていたと思います


順に改四五式、昭五式、九八式


昭五式と九八式でも内装の形が変わっています。
昭五式の方は前面も途切れていますが、九八式では前面は全て縫い止められています。
これは恐らくですが、前面の内張りの有無は着用感に影響がなかったため生地擦れの保護のために内張りが復活させられたものと思います。

○包帯包入れ



←九八式 四五式→

四五式と昭五式は、胸の物入れとつながった一枚の布を区切ることで包帯包入れとしています。
(ちょっとわかりづらくてすみません)
九八式では別個に布を置いてポケットを作っています

○脇当





九八式では、脇下に生地を増やしています。
そのため腕を動かしやすくなっています


○ 背中の裁断




昭五式からは二枚分割です。
余る生地を減らすためらしいです。

ただ、陸軍は昭五式に至る時代からウール製品の生地に再生繊維を加え始めています。
余った生地はそちらに回すことも出来るでしょうから、
手間をかけてまで二分割をする意味があったのかどうか気になります


○見返り部分



改四五式までは見返り部分まで絨が使われていますが、昭五式からは綿の生地に変わります


○ボタンの違い
四五式-昭五式-九八式と制定される毎に変わっているわけではないので○式だと言い切れるわけではないのですが、ボタンの品質は四五式のあたりが一番ひどいです

・足の部分がガタガタで穴の大きさも一定じゃないのがほとんど
・上のパーツが完全にカシメられていなくてクルクル回る個体が多い
・カシメの位置がズレていてボタン全体の高さが歪んでいる個体もある

こんなのばっかです
裏に刻印が押してありますが、結構いい加減です。
この時代のボタンは形出しなんかも半分手作業で作られていたのではないでしょうか

ともかくだいぶ酷いです

九八式の時代になるとかなり品質が向上しているみたいで個体差は全然有りません

*末期のベークライト製ボタンはそれはそれで酷いです。 糸通し穴をドリルで開けていると思われるのですが、斜めにずれたり穴が本体をかすっているのもあります。










○その他



・四五式は若干剣留めが大きい (昭五式以降は細い)
・四五式は脇裂の長さか全体的サイズの影響か、裏地があるせいか、それとも体格の問題か、
ともかく私のウエストは太いハズなのに、側面に纏めた所が更にダバつく 昭五式はややマシ  九八式はしっかりと纏められて綺麗に収まる
・四五式は袖先に補強縫いがしてある (そうそう千切れるような部分ではないので意味が無いと思う)
・九八式軍衣では腰ポケットが追加されている これは非常に便利で使いやすい




四五式から九八式軍衣に至る軍服の変遷では大量生産用の設計変更の面が強調されることが多いですが、個人的には改正の部分を一番にあげるべきだと思っています。

九八式での実用性を大幅に増す改正なんかは一番に注目すべき点です

ゲートル、脚絆について





ゲートルです
下から大正時代のゲートル、昭和14年製、昭和16年製です。



 



生地を拡大してみました。
一番上のものは四五式、大正11年製のゲートルです。
大正11年に生地質が若干変更になっているらしいですがそれ以前のタイプなのかそれ以後のタイプなのか不明です。


やはり四五式時代のものは品質が良いみたいできめ細かいです
足紐もウールで出来ていて解けにくくなっています

手元にはありませんが、昭五式の時代に足紐が綿製に変更になったらしいです

真ん中は昭和14年製です。

一番下は昭和17年製


末期になると布製だったり、足紐がスフだったりととんでもないことになります


あと、昭和14年と16年製ではゲートルの長さが変わっています
14年製のほうが10センチほど長いです
それと足紐の末端の処理が、14年のものは2回折り返してあるのに対して16年製はそのままミシンを走らせています

九八式軍衣 と 三式軍衣 との違い




左 九八式 
右 三式 です。
どちらもほぼ同じサイズの 3号、中号です。
(2枚目の写真では反対になってます)


先ずタイトル通りに九八式軍衣と三式軍衣の違いを上げますと
現物を見て比べる限り(資料を参照したわけではないので断言してしまうと問題ですが・・・)
三式軍衣は九八式に比べて

・剣留めの短縮
・ポケットの作りの簡素化
が有ると言えます

他にも閂(ボタンホールの端を縫い止めるやつ)が省略されたり
絨(生地)が混紡になったりと簡素化もあります。

ただ閂止と生地は、前者については昭和16年製の軍衣でも省かれた物があったり
逆に19年製のものに施されていたりと一貫していない感じがします。
生地についても正直よくわかりません。 すみません


 


またネットで調べていた頃によく、九八式と三式は襟の大きさが違うという話を見ましたが
私が持っている軍服の中では(昭和13年から19年の夏冬衣両方共) 双方に違いは有りませんでした。
よくわかりませんが例外もあるということでしょうか・・・

 



まず一番目にあげた、剣留めの短縮については写真のように差があります。
(左 三式、右 九八式)
三式では長さに余裕が無くなっているので剣差しを取り付ける時に若干手間取ります。


 

上が三式、下が九八式です。

三式ではポケット端に末端の生地がはみ出ています




三式では脇裂の終端の補強が省略されています
強度が低下しますが大量生産のために犠牲にされた部分です。






昭和17年制定”試製”防暑衣

「試製」なんてスタンプが押してあったのを発見して若干興奮気味に記事を書いています




ボロボロの状態なのでコレクション的な価値は無いと思います。
ポケットの中に入っていたマルシンの紙を見るにゲームで使われていたものっぽいです

 


掠れていますが甲表記の上に「試製」の文字があります。
読み間違えていたらすみません




これが通常の防暑衣の検印です。



写真上側(下に積まれている方)にあるのが17年製の試製防暑衣
写真下側(上に積まれていて襟にモザイクが入ってる方)が19年製防暑衣です。

生地の色と襟の接続位置が微妙に異なります。

ボタンホールの角度はどちらも同じく水平ではなく微妙に角度が付けられています


それ以外はさしたる違いもなく、有るといえば試製防暑衣の方がボタンホールに閂がされていないというぐらいです。







追記: 剣留めも三式のように短いタイプです。




PR