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さんま備忘録

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九九式短小銃 銃口蓋(マズルカバー) 樹脂製の実物と複製品

撮影している時に配慮が欠けていて、実物と複製品の位置がごちゃごちゃになっています
すみません
薄い色のほうが実物です











複製品は実物から型を取ったのか、よく再現されています。

細かいことを言い出せば、ベークライトとプラスチックという材質の違いで手にとった時の重さや
角の形が違ってきていますがエアガンに付けるだけなら複製品でも十分だと思います


九八式軍衣 と 三式軍衣 との違い




左 九八式 
右 三式 です。
どちらもほぼ同じサイズの 3号、中号です。
(2枚目の写真では反対になってます)


先ずタイトル通りに九八式軍衣と三式軍衣の違いを上げますと
現物を見て比べる限り(資料を参照したわけではないので断言してしまうと問題ですが・・・)
三式軍衣は九八式に比べて

・剣留めの短縮
・ポケットの作りの簡素化
が有ると言えます

他にも閂(ボタンホールの端を縫い止めるやつ)が省略されたり
絨(生地)が混紡になったりと簡素化もあります。

ただ閂止と生地は、前者については昭和16年製の軍衣でも省かれた物があったり
逆に19年製のものに施されていたりと一貫していない感じがします。
生地についても正直よくわかりません。 すみません


 


またネットで調べていた頃によく、九八式と三式は襟の大きさが違うという話を見ましたが
私が持っている軍服の中では(昭和13年から19年の夏冬衣両方共) 双方に違いは有りませんでした。
よくわかりませんが例外もあるということでしょうか・・・

 



まず一番目にあげた、剣留めの短縮については写真のように差があります。
(左 三式、右 九八式)
三式では長さに余裕が無くなっているので剣差しを取り付ける時に若干手間取ります。


 

上が三式、下が九八式です。

三式ではポケット端に末端の生地がはみ出ています




三式では脇裂の終端の補強が省略されています
強度が低下しますが大量生産のために犠牲にされた部分です。






昭和17年制定”試製”防暑衣

「試製」なんてスタンプが押してあったのを発見して若干興奮気味に記事を書いています




ボロボロの状態なのでコレクション的な価値は無いと思います。
ポケットの中に入っていたマルシンの紙を見るにゲームで使われていたものっぽいです

 


掠れていますが甲表記の上に「試製」の文字があります。
読み間違えていたらすみません




これが通常の防暑衣の検印です。



写真上側(下に積まれている方)にあるのが17年製の試製防暑衣
写真下側(上に積まれていて襟にモザイクが入ってる方)が19年製防暑衣です。

生地の色と襟の接続位置が微妙に異なります。

ボタンホールの角度はどちらも同じく水平ではなく微妙に角度が付けられています


それ以外はさしたる違いもなく、有るといえば試製防暑衣の方がボタンホールに閂がされていないというぐらいです。







追記: 剣留めも三式のように短いタイプです。




実物 三八式歩兵銃 九九式短小銃 トリガーガード 用心鉄

言い回しに怒る方も居るかと思いますが、今現在悲惨な気持ち、有り体に言えば初年兵になった気分です。

色々と言いたいことが沢山ありますがヤフオクの売れば勝ちの状態はどうにかしてほしいです。
なんというか、自分が損するということ以上に、人間の厭な面を見てしまう気がしてなりません
 あと大陸系の転売業者様・・・

触れること自体明らかに角が立つ内容ではありますが、どうも気分的に触れておきたくて仕方が有りません。
それに今回ネタにする部品は、そう言った厭なことから入手したものなのですから一応関連性があると自己納得しておきます。


閑話休題

 
(この記事は九九式の部品呼称を基本に書いています。)

上三八式(中期-後期型?)下九九式(前期型で、初期型ではない)

先ず製造年代について触れておきますと
三八式部品の方は刻印「セ」から1930年台以降の製造だと推定されます。
(多分です。断言しません)
 上で中期-後期としたのは年代による型式の区分が不明で確証がないからですので、
生産開始1906年から生産終了の1942年(wiki引用 資料不明)までを単純に三分割するのであれば後期型という扱いで良いのかもしれません。
また、仮に中期型と後期型を分類するのであれば、弾倉の磨き仕上げと溶接の有無がポイントになると推測はしますが(溶接についての考察はこの記事)他に比較対象がないのでなんとも言えない状態です。 


また九九式の方は年代は分からないにせよ名古屋工廠製の前期型であるとは推測が付きます。
初期型は下面、上面ともに鋳物肌を全て磨き上げてあり、下支鉄部分にも検印が存在します。検印の数も異なります。
(価値を知らないまま売却してしまったのですが以前の記事に初期型を載せてあります。)







前半部分です。
形状的には似通っていますが、側面磨き上げの細かさ等が異なっているのがわかると思います。
それだけではなく開放ラッチの違い等、後に触れますが意外と相違点は多いです。

 

下支鉄(びろーんと伸びている部分 英語でロワータンともいう)等大きく異なります。

三八式の用心金は見ての通り完全に削り出しの用心鉄部分で、下支鉄も本体で挟み込む形状になっていたりと細かい部分が良く出来ています。 九九式に比べて時間がかかったことでしょう。
弾倉底板留も九九式と異なりプッシュして開放する形式です。
(正確には三八式の場合、実は2パーツに分かれていて、押す部分の部品は弾倉留柄と呼称します。部品名が同じ役割の者でも三八式と九九式で異なるのでややこしいです。)

当方特に技術者というわけではないので機構に対する理解が甘い点はありますが、
三八式歩兵銃では弾倉底板(正確には鈑・・・ うぜえ)
を後ろから前(底板留から作用される部品の方向)に押さえつける作用が働いている為、2パーツの部品に分かれていると思います。
 対して九九式の場合は、下に弾倉底板が落ち無いように支えているだけの構造です。

これらの違いは弾薬を入れていない時、つまり弾倉撥条の負荷がなく下面に押さえつける力が働いていない時に問題になってくるようで、精度の悪い九九式部品(この前期型部品もそう)の場合、振るとガタガタと音が鳴ってしまっています。
そう言った所の配慮で三八式のパーツが複雑になっているものと推測しております。

(以前の記事にて「三八式の時代はコイルバネを極力使いたくなかった」という内容の文の中にこの用心鉄に関して触れていました。 板バネを使用しているのでは無いかと推測していましたが、実際の所三八式の用心鉄にはコイルバネが使われていました。お詫びします 





仕切り直して九九式についてですが、
こちらは用心鉄本体と下支鉄が一体のように見えますが分割して製造されています。

下面のびろーんがクルッと半円を描いて本体と合流していますが、ともかくそういうことです。
接合は熱い内にプレスしたものかとおもいます。

 またビローンやクルッはプレスによる成形っぽいですが、一応手作業で磨いているようです。

(時期が下るに連れて仕上げが荒くなるのを自明のように考えては居るのですが本当にそれは正しいのか?削り方によってある程度の生産時期を見分けているつもりですが、それは勝手な推論なのかもしれません。
考えを決めない内に記事を書くなと言われそうですが・・・ )




構造の違い

三八式は底板のツメを本体に差し込む構造です。
九九式の場合はヒンジが付いていて稼働するようになっています。



上面



ここの部分の違いが個人的には一番びっくりしました。
三八式のほうが明らかに綺麗に作られています。
 



底板です。
三八式はリューターで弾薬撥条の取り付け部をほり込んでいるようで、ツールマークが残っています。

九九式の場合は本体から伸びた板を折り返して取り付け部としてあります。
1パーツのみで底板、ヒンジ、取り付け部を全て兼ね備えていますので
とても合理的な設計をしていると思います。

 








←九九式 →三八式


九九式は溶接かと思います。
自信は持てませんが・・・

三八式はピン止めで、この部分も磨き方が異なります。





最初の方に「嫌なことから入手できた」と書きましたが



真っ暗な画像で出品されていて、届いたものはアクリル塗料でドロドロに塗り固められていたものでした。
誤魔化す気で出品したんでしょうけど、剥がしてみたらこのような程度のものだったので嬉しい限りです。
最初は騙されたと思いましたんで・・・




実物 三八式歩兵銃 初期/九九式短小銃 初期&後期型 安全子 セーフティー

前置きとして

九九式は時代ごとに
極初期 初期 前期 中期 後期 末期
の区別をしています

ちなみに安全子の場合の初期は前期とは
・黒染め仕上げが淡いブルーであること
・チェッカリング中央の凹みに検印があること
以上がことなりますので今回の部品は初期型としています。

前期型(~1943)は黒色の仕上げで尚且つ中途検印は表面にありません。

尚三八式歩兵銃の場合は正直いってよくわからないのですが、白磨きのタイプのほうが登場が早いとして初期としています。 もしかすれば前期かもしれません。 
また、三八式歩兵銃のセーフティーの呼称は正確には
打針留と言います。 便宜上九九式に合わせた呼称を用いています。



記事にするネタをタイトルに全部詰め込んだところやたら長くなってしまいましたが
とりあえず安全子についての記事です。





後期型は棒が歪んでいるので自立しません。 手元にあったiPhoneで支えています。

この安全子一つとっても三八式から九九式にかけてで
知る限り8通りあり、また三八式の場合は一部白磨きであるタイプ、九九式でも黒染めの色合いの違いや内部の刻印の打刻位置の違い等もあるのでかなりのバリエーションがあります。
 他の部品よりもバリエーションが多いのは手間のかかり具合によるものでしょうか。
よく分かりませんが興味はあります。



並べるとこうなります。
位置がずれていて分かりづらいですが三八式と九九式では棒の長さ、溝の幅や位置、前面の曲線具合といったところが異なります。
 ここの細かい違いは当然円筒の形状の違いによるものだとは思いますが
弾を7.7mm化することによる変更でしょうか。
それとも合理化によるものなのでしょうか。
円筒と比較した上で考えてみたいところでは有るのですが、円筒(ボルト)は法律的にアレなので入手するに能わず悩みは増すばかりです。






チェッカリングの違いです。
これは九九式だけにしても製造所により異なりますので、三八式と九九式を分ける上ではあまり参考には出来ないと思います。
 ただ、中央の凹みが三八式では若干深いという事は作りの丁寧さを示すと思います



←三八式 →九九式初期


内部まで削り込まれている三八式は流石に芸術性も認められているだけあります。
九九式の方は初期型ですし、ある程度の処理はありますが三八式には及びません。




 
順に 三八式、九九式初期、九九式後期

三八式の曲線美もさりとて、後期のガタついたところにもそそられる物があります。
はめ方が歪んでいて構成がずれています。また安全子として作動する部分もチャンとした角が出ずに曲線になってしまっています。
操作性が悪くなったと推測されますが(円筒が無いから操作感を確かめようがない)やはり生産性優先によるものでしょうか。








三八式セーフティーの上部と下部のアップです。
ピンが打ち込まれているというのがわかると思います。
つまりチェッカリング部と棒部分の接合は溶接ではなくピン止めということです。

使い回しですが三八式の裏面です。
部品間の溝が何の跡なのかは不明です。
ピン止めだけであればこのような溝は出来ないはずですがよくわかりません



こちら九九式の後期型です。
末期型の溶接痕がそのまま残っているタイプのものが一番説明に適しているのかとは思いますが
すみません とりあえずこの部品に於いては九九式は溶接だということでお願いします。

ところで日本の溶接の歴史といいますか、軍隊に関わった溶接の話としては
有名どころで言えば海軍の第四艦隊事件、震電のスポット溶接といったところでしょうか
 それぐらいしか知らず不勉強がになりますが・・・


九九式短小銃の初期型から溶接が使われているのはほぼ間違いない話ですが
溶接の採用時点が
・三八式歩兵銃の時点で溶接が実用化されていた
・九九式小銃になってから初めて溶接が使用された
・九九式短小銃の正式後
いずれなのかは現物を確かめたわけではないので断言は出来ません

確証なし


ただ、こちらのサイトを見る限りでは
溶接自体は日本海軍でも1930年台に実用化されているらしく、陸軍に於いても実用は大体同じ年代頃にはどうにかなっていたのではないでしょうか
ですから採用時点としては、三八式の後期型であっても不思議はありません。

 とは言え正直な話、九九式短小銃に溶接が使われているということ自体も日本語圏のネット上では殆ど話題になっていませんので情報が不足がちです。
その上、かの大御所も溶接は出来ないと言及されていることですし、ヤフオクの出品者の方にも九九式の槊杖(クリーニングロッド)はロウ付けであると主張される方も居られるわけです。
 角が立つのであまり大仰には言いたく有りませんが、九九式短小銃の部品に溶接されている箇所があるというのはある程度正しいことのように私自身は思います。


接合方法はちょっとお手上げです。
技術屋ではないのでわかりません

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